言葉に敬意を払いませんか?~言葉は人の人生を左右します
FPユニバーシテイ 執筆講座担当の ひまわり法務FP事務所®代表の竹原庸起子です。
私が担当しているブログ記事では、毎回、FPなどの専門家が執筆の業務を受ける上で知っておきたいことを項目ごとに書いております。
今回は、最近のニュースから、「言葉」「ことば」「コトバ」・・・・・これらが神聖さ、尊さ、威わ力、破壊力、影響力をもっていることを忘れている、もしくは気づいていない人々が多いのではないかと当方が考えましたので、苦言ではなく、提案をいたしたいと存じます。
みなさん、「言葉」の使い方、活用のしかたを間違っていませんか?
例えば、先日は、SNS上での誹謗中傷により若い命が奪われるニュースがありました。会ったこともない他人の言動に対して、真実も知らないまま安易にSNS上で書き込みをする人がいるのです。また最近は、コロナウイルス感染拡大防止のためテレワークが増えていることから、人と人とが対面で向き合ってお互いの表情を読み取ることなくコミュニケーションをとらざるを得ないため、お互いの意図や思いが伝わらずにお互いがストレスを感じながら仕事を続けている人がいます。
これらに共通して言えるのは、言葉を使う側は自分が発した言葉に敬意を払っていないのではないかということです。自分が発した言葉一つで相手の人生や、自分が属する会社や組織の行く末を左右することがあるのです。発した側が気軽な気持ちで汚い言葉を使っただけでも、受け取る側は気軽ではなく重く感じると、その段階で受け取る側の人生が変わります。言葉は神聖なものなのです。
ところで、この話をしますと必ず反論意見として挙がるのは「友人、家族や部下の悪いところをただすことができなくなるじゃないか。言うべきことは言わないと、こちらまでストレスに感じる」というものです。これは「叱ること、諭すこと」と「誹謗中傷」とは違うのだということをわかっていないのではないかと。「叱る」ときの言葉は汚い言葉ではなくきれいな言葉を使えばいいのです。そしてその言葉に敬意を払い相手への愛情を示す言葉を加えるのがいいのではと。当方が社内の部下を叱るときは、まず直すべきところを指摘し、その言葉のあとに「きちんと受け止めてくれてありがとう」といいます。「ありがとう」という言葉は、相手を叱る、ただす、諭すときにも使えばいいのです。
このように、「ありがとう」「感謝します」などのきれいな言葉を使うべき時にきちんと使うことにより、対面しなくてもコミュニケーションはとれます。誹謗中傷はなくならないでしょうが減らすことはできますし、万一相手へ汚い言葉をつかってしまったとしても、その後すぐに「ごめんね」「ありがとう」という言葉を伝えるような言葉の活用をしませんか。